今週のお題「自由研究」
今週のお題を見て、あぁ学生は夏休みなのだ
と改めて思う。
そういえば最近、通勤バスがやたら空いてい
るなと思っていた(^◇^)
自由研究って小学生の頃まであったのかな
中学生の頃はどうだったんだろう?
現在57歳の自分、小学生の頃だと約半世紀
前の事になるので記憶もかなり怪しくな
っているのだが・・・自由研究では忘れられ
い思い出がある。
そもそも宿題といえばギリギリまで引っ張り
全くやらない性格(これは今に至っても治っ
ていないように思う)
当時(今もだが)自分の家は商売をしていて
両親は休日も無く毎日、朝から夜まで働いて
いた。
夏休みは朝起きてラジオ体操行って、学校
へ行ってプールで泳いで、4年生位からは
町内会の子供は防犯少年野球に参加しなけ
ればならないという町内の子供会規則により
野球の練習へ出掛けていた。
そもそも防犯少年野球って何?と思われる方
に説明すると、長期の休みに子供に自由時間
があり過ぎると非行に走るきっかけになると
の懸念からスポーツに打ち込ませ非行に走る
きっかけを失くそうと誕生したらしい。
(だったかな?)
まぁそんなこんなで今と違ってほのぼのして
いた昭和の小学生も夏休みはそれなりに忙し
かったのである。
それに加えて家業の忙しかった当時、日中は
祖父母の家に預けられる事もしばしばあり、
祖父母が孫に甘いのは今も昔も変わらずで
自由に夏休みを満喫するのである。
宿題なんてやってる時間などない( ̄▽ ̄)
そして、夏休み終了まであと〇〇日!とい
時点で母親が自分に聞いてくる・・・宿題
終わっているのかと。
普段は穏やかな母親だったが、この時ばか
りは・・・((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
怖かった!
ドリルは自分で何とかしろ!自由課題はこ
っちで考えるから!
普段だったら起きていたら怒られる時間、
眠くて堪らないのだが、寝ることも許され
ずに半泣きでドリルを進めていく。
そんな戦場のような夏休みの終盤を終えて
数日後、99%を母親が造った自由課題
『昔の水車小屋』という模型が金だか銀だか
忘れたが賞を取ってしまい他の子達の作品が
撤去された後も学校で展示され続ける(一一")
展示されている間、流石に気まずかったのは
覚えているのだがその後、改心して計画的に
物事を進められる人間になったかは・・・
自信がないのである(;一_一)
《 おしまい 》